日本はアジアで何をしたか

1938年、ナチス・ドイツが「ヨーロッパ新秩序」を かかげて周辺諸国への侵略を進めていた頃、日本も 「東亜新秩序」の名のもとに中国侵略を公然化しつつ ありました。そしてドイツがオランダやフランスを占 領下に置くと、日本は火事場泥棒のようにすかさずフ ランス領インドシナ(ベトナムなど)、オランダ領イ ンドネシアに軍を進め、支配下に置きました。日本の 目的は、資源の収奪にあったのですが、「西欧諸国に 支配され苦しめられているアジアの国々を解放し、ア ジアを一つにして共に栄えるのだ」と宣伝されまし た。これが「大東亜共栄圏」であり、1941年12月以 降の米・英を中心とする連合国との戦いは、その実現 のための「聖戦」であると位置付けられたのです。  しかし、「ヨーロッパ新秩序」の名の下にナチス・ ドイツがユダヤ人を大量虐殺したように、「大東亜共 栄圏」下のアジアの国々では虐殺・破壊・餓死など、 日本軍による暴力と恐怖が支配していました。今日で も「あの戦争はアジアの解放のための正義の戦争だっ た。日本のおかげで多くの国が独立できたのだ」とい う声が、日本国内の一部にあります。これほど歴史を 偽った身勝手な考えはありません。日本軍占領下の時 代、それは忌わしい記憶としてアジアの人々の心に深 く刻まれているのです。